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平成18年に開催した愛知建築士会主催の学生コンペ。このコンペ事業は、建築の健全な進歩に寄与する活動の一環として、建築を目指す学生を対象に、今後継続的に開催していくものです。コンペに挑戦する学生にとって、作品制作は実践的な力試しであり、審査委員長の黒川紀章先生をはじめ、著名な建築家・文化人の方々から直接指導を得られる絶好の機会となりました。学生の方々にはこの機会を十分に活かして、今後の勉強に役立てていただきたいと願っています。 記念すべき第1回学生コンペのテーマは「納屋橋ルネサンス」。対象地区の「納屋橋」は、徳川幕府によって名古屋が開かれた慶長の時代から名古屋の東西軸である広小路通と名古屋城から名古屋港までの南北軸である堀川との交差点に位置し、庶民の一大娯楽地区として大変な賑わいをみせました。 |
明治31年の路面電車の開通を始め、劇場・飲食店やホテルが建ち並び、大正から昭和にかけては名古屋の目抜き通りとして大いに賑わっていました。しかし、第二次世界大戦後には、地下鉄の開通や市電の廃止、屋台の撤去などに伴い、かつての賑わいも薄れてきています。 この「納屋橋地区」を再び、賑わい溢れる魅力的な空間にする楽しく活気あるプランを募集したところ、楽しい夢空間を創造する作品の応募を多数いただきました。どの作品も2010年に生誕350年迎える広小路通りにふさわしい作品であったと思います。本事業は、愛知建築士会が毎年主催している「建築総合展」と連携し、その期間中にコンペ応募作品の展示を行い、最終審査会は「建築総合展」最終日に実施されました。 | ||||||||||||||||||||||
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建築設計コンペティションの応募は、事前登録の手続きをとっていただくこととし、愛知建築士会のホームページ上の登録フォームから登録するようにしました。 応募登録期間中に173件の登録があり、その中から58作品の提出をいただきました。 一次審査は、8月28日(月)、昭和ビル9階の会議室において審査委員の方々により厳正なる審査が行われ、58作品の中から7点の入賞作品が選ばれました。 最終審査は、10月14日(土)、吹上ホールで開催された第36回建築総合展の会場内において公開プレゼンテーションの形式で行われ、入賞作品7点から優秀賞はじめ各賞が選ばれ、発表及び表彰式が行われました。 |
募集概要 詳細な要項を見る
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■スケジュール 応募登録期間 2006年 6月1日(木)〜7月31日(月)→173件の登録 作品提出期間 8月17日(木)〜8月25日(金)→58作品の提出 入賞者決定 8月28日(1次審査 会場/昭和ビル9Fホール) 最終審査の発表及び表彰式 10月14日(土) 会場/名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール) 入賞者にプレゼンテーションしていただき、各賞を発表。 審査委員長黒川紀章氏の記念講演会 作品展 10月12日(木)〜14日(土) 会場/名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール) 入賞者 入賞作品紹介を見る
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10月14日(土)、第1回学生コンペの表彰式の後、記念講演会が開催されました。 「これからの建築をどう考えていくか」という演題で、コンペの審査委員長でもある黒川紀章先生に講演をいただきました。世界的建築家として国内外で活躍を続ける黒川先生の講演ということで、会場は満席、真摯なまなざしで聴き入る参加者の姿が印象的でした。 「丹下健三先生に師事していた頃、コルビジェから丹下健三先生宛ての葉書を見ました。短い文でしたが、それには“これからはあなたたちの時代”と書かれていました。しばらくして丹下先生から独立し次は生命の時代と思い、環境、サスティナビリティをテーマに取り組んできました。そして今は共生です。共生とはお互いに矛盾を抱え対立し共闘しつつも、しかしお互いに相手を求め合っている状態です。だから調和でも共存でも妥協でも友好でもありません」。そう話す黒川先生は、自然、歴史、伝統的なものを重視し、共生という概念で建築にアプローチしてきました。 仕事はすべてコンペで勝ち取ってきたという先生は、若い頃の苦い経験をバネに一つ一つの仕事に取り組んできました。 かつて、フランスで開催されたポンピドーセンターのコンペで1位になったものの、日本人にはまだ任せられないとの理由で、賞金だけをもらって建物は建たずに悔しい思いをされたそうです。 しかしその後も挑戦し続け、数々のコンペを勝ち取られてきました。
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「コンペでスポットを浴びる快感は忘れられないものです。勝つことは厳しいが、自分の信念と思想に基づいて努力するのです。それが建築家の生き様だと思っています。今ではありがたいことに、“我が国にも黒川の作品がほしい”と各国から頼まれます。また、お金にはならないボランティアの仕事も建築家の使命だと思ってさせていただくこともあります。日本人は日本では認められてこなかった。それは、ジェラシーがあるからです。しかし本当の実力が認められるのはジェラシーのない公平な世界です」。世界の頂点に立つ建築家として熱っぽく語られました。 講演中はスクリーンを使って、クアラルンプール国際空港(マレーシア)、シンガポールの再開発、大阪国際会議場(スーパードミノ、スーパースラブ使用)、カザフスタンの新首都の作品などを見せていただきました。 最後に質疑応答が行なわれ、たくさんの質問が飛び交いました。一部をご紹介します。 会場(学生)●私たちの作品「サクラノキセツ」(優秀賞)はどこがよかったですか? 黒川 ●目のつけどころがいい。日本人は桜が大好き。人生と同じで花開いて散るときは潔く死ぬ。私もそんな生き方がしたいね。 ただ、納屋橋で桜を咲かせて、季節が終わったときに、それを補うだけの建築性がほしかった。 会場(愛知県職員)●今、姉歯問題で暗い雰囲気の中で仕事をしています。沈んでいる建築業界や建築を目指す若者と黒川先生の大ファンの私に、元気になれるような言葉をください。 黒川 ●今、世界では日本の文化が注目され、格好いいと言われています。その先頭にくるのが日本の現代建築です。それを自覚して、その一角を担っている日本人の一人として誇りを持ってやってもらいたい。 世界は評価しているのだから 私も世界の中できちんとした位置で仕事をしていきたいと思っている。協力し合い、改善できるところは改善して連携をとってやっていきましょう。今回は愛知県と名古屋市が学生コンペに協力をするなど行政が関わること、このことが大事で、このようなコンペをきっかけに、偉大な建築家が育ってくれることを望みます。 |
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