no.3  1.sep.1999

杉田くん 半田支部 青年部長 (当時)
大奮闘

  半田支部の活動を全国に発信

建築士会全国大会 奈良大会
   大和まほろばフォーラム

 昨年11月13日、奈良県奈良市、奈良県新公会堂で行われた「建築士会全国大会 大和まほろばフォーラム」の第3分科会で、当支部青年部長の杉田純一君が東海北陸ブロック代表として発表をしました。

 建築士会全国大会は毎年開催場所を変え、今回の奈良大会で41回目を数えます。「古都奈良で21世紀の夢をかたろう」の大会テーマのもと、建築士会連合会主催で「大和まほろばフォーラム」が開催されました。
 第1分科会は連合会まちづくり委員会担当、「生きつづける歴史のまち」というテーマ。第2分科会は「侘び寂びルネッサンス」と題して女性委員会が。そして、我が代表杉田君の出席した第3分科会は「地域に生きる若き活動−その始まりと発展」がテーマでした。

 午前中、13名の発表者がその要旨をかいつまんで報告し、午後はテーマごとに7つの分散会に分かれ、活発なディスカッションが行われました。
 D分散会に出た杉田君は永田支部長のサポートを得ながら、堂々と質問に答えていました。 (取材:N)

支部のみなさん、ありがとう
発表者、半田支部前青年部長 杉田純一

 まずもって、半田支部会員の皆様ならびに愛知建築士会青年部の皆様、多数応援に駆けつけていただきまして誠にありがとうございました。
 前日から半田支部の水野貴之君、本年度から本会の青年部長になった佐野慎君の3人奈良の地に乗り込んだのですが、いざリハーサルを始めたら、スライドのチェックだけで、当日の流れとか…まるっきり段取りが悪くて何をしにわざわざ前日から行ったのか不思議な気分でした。
まあ、「こんな事か」と気を取り直して奈良の夜の街に繰り出したのですが、これがまた、世界遺産にも指定されている街ということであっさり食事だけをして当日を迎えました。

 発表終わった夜は、大阪で青年部のメンバーと反省やら愚痴やらを酒のつまみとして夜遅くまで会話に華を咲かせた事と発表の事前調査を半田支部青年部メンバーと一緒に活動出来た事が、私の一番の収穫でした。


全国大会発表要旨(略)

赤レンガファクトリーパーク整備計画
                   杉田 純一

赤レンガネットワーク注目のレンガ造建築物
 1995年春に旧カブトビール跡地1万坪が、赤レンガ建物付きで購入話があがりましたが、市議会の反対にあって暗礁にのりあげました。
 当時、金沢学院大学助教授水野信太郎先生をはじめとする「全国赤レンガネットワーク」の熱い注目を受けていた建物であります。
建築士会として何とか保存出来ないものかと活動を起こしました。

半田支部でフォーラム開催
   市民の声、市議会を動かす

 1995年11月2日、愛知建築士会半田支部が主催し「まちづくりにおける歴史を考えるフォーラムインはんだ」を開催しました。
 このフォーラムにより、市民の赤レンガに対する関心も高まっていきました。そして、96年の市議会本会議にて、建物を含めた土地の購入が決まりました。ちなみに費用は、30億円でした。

半田支部、検討委員会に加わる
 これを受けて、96年8月より建物と跡地の有効利用検討委員会が作られました。
 我々、半田支部は、支部長を始め青年部員が出向することになりました。この検討委員会は、1年7ヶ月に及ぶ検討を重ね、この春行政に答申しました。

日本に現存する唯一のレンガ造ビール工場
 この建物は、明治の巨匠妻木頼黄(ヨリナカ)の作品で、建物全体がビール工場であった為、冷蔵庫の役割をしています。
 このような建物は、東京のエビスビール工場、大阪のアサヒビール工場の3ヶ所に建てられました。
 しかし現存するのは、この半田の地にある、旧カブトビール工場だけとなりました。

ジャズフェスティバルができる交流広場
      テーマは「時をこえるまちの息吹」

<スライドによる説明>
 この建物を中心として、1万坪の土地を有効利用する為に、考えてきた事を説明します。
 建物の東側は全国でも珍しいハーフティングバー部分を背景にした、市民の憩いの場。
 建物北面はコンサート広場。これは、舞鶴の赤レンガ広場で行われているジャズフェスティバルに近づきたいという思いから考えました。
 いよいよ、赤レンガの内部です。旧カブトビールを製造した先人達の起業家精神を未来へ、引き継ぐ場として、共通テーマを「時をこえるまちの息吹」としました。中心に、ビアホールを設け、それに付随し、市民の為のギャラリー・赤レンガ歴史館・交流ホール等があります。
 この計画の、総事業費は、約60億円と見込んでいます。

市民参加で実現へ
      1999年12月は赤レンガ工場100才誕生パーティー

 この建物を文化財指定への推進と共に、行政のみならず、広く一般市民からも財源をつのりたいと思います。
 今後は、この計画を実現するために我々、建築士会が中心となって、市民を巻き込んだ赤レンガクラブを設立し、全国の赤レンガネットワークの方々の、支援を得ながら広く市民に訴え行政を動かしたいと考えています。
 現在赤レンガクラブの会員は、150名程度ですが、将来は、3,000人規模にしたいと思います。

 1999年12月には、この建物の100才の誕生パーティーを企画中です。
是非、参加のお願いをして愛知建築士会半田支部の発表にかえさせていただきます。


 総会報告
新支部長に手島俊一氏
 平成11年度総会は去る4月29日(みどりの日)、半田市の愛知県半田勤労福祉会館で行われ、10年度の事業・決算報告、11年度事業計画・予算などを議決承認しました。合わせて役員改選が行われ、新支部長に手島俊一氏を選出しました。

新支部長挨拶
      支部長 手島俊一
           (てしま しゅんいち)
 このたび(社)愛知建築士会半田支部長の大任を受け継ぐことになり、身の引き締まる思いです。
 建築士の地位向上と親睦を高めるべく、一所懸命がんばりますので、ご指導、ご協力の程よろしくお願いいたします。


東京 平成11年度 
  半田支部研修見学会
平成11年7月11日、12日

東京ビッグサイト(有明)
東京お台場
レインボータウン見学記

 研修見学委員長 岡澤 宣弘

 今年も恒例の研修見学会が行われました。
 初日は雨模様(私は雨男)の中、多数の方の要望であった大規模で未来的な空間を持ったフジテレビを中心に、東京お台場〜有明の建築物を見学しました。

 名所となったフジテレビは見学者が長蛇の列を作っていました。建物は中心部分が見学者用に造られており、その空間利用に感嘆させられました。

 建物を逆さにしたような東京ビッグサイト(写真)・若い人の集いの場、東京ファッションタウンでは中心部分にある吹き抜けの大ホールの真ん中で雨漏りと錯覚してしまった高低差30m位はありそうな落水(レインボーシャワー)・衛星通信基地、テレコムセンター・煙突の外観が目を引いた東京クリーンセンター・大型客船をモデルにした船の科学館等々、建築中の建築物も多くあり、これからも注目されるビッグタウンになることでしょう。

 夕食は屋形船(写真)でお台場の夜景とレインボーブリッジのイルミネーションを観ながら親睦を図りました。

 二日目は6月に世界文化賞を受賞された槇文彦先生代表作、ヒルサイドテラス、ヒルサイドウェストを中心とした代官山周辺の建築群を見学。建物は私たちに比較的身近な規模なので和気藹々の中、散策しました。  次回の研修見学会の会員の皆様、誘い合って頂き多数の参加をお願いします。


屋形船での懇親会

代官山ヒルサイドテラス

「パリ美術鑑賞の旅」続編?    渡辺真啓

 ちょうど、絵を見たいなと思っていたところへ、編集委員会企画の旅の案内が来て、おもわず参加を決めてしまいました。建築見学だとつい欲が出て、支部の研修旅行ではいつも強行軍を組んでひんしゅくをかっているのですが、こんな人まかせの旅も気楽でいいなというところです。

 一週間パリにいて名品を見て廻るという、なかなか贅沢な内容ですから、なるべく建築は見ないようにして、のんびり過ごそうと思っていたのですが、行ってみれば、こんどは美術鑑賞に歩き廻るやはりハードな毎日でした。
 なぜか、よい企画の割に参加者は少なく、まあおかげで動きやすく充実した旅となりました。その顛末は各参加者が感想を書かされましたので(なにしろ編集委員会企画なので断われない)「愛知の建築」12月号に載っています。

 さて、都合で行けなかったが、機会があれば一人でも美術館めぐりに行ってみたいという方に一言。大丈夫です。パリのメトロ(地下鉄)はたいへんわかりやすく便利です。メトロの回数券(カルネ)と、美術館のフリーパス(カルトミュゼ)で、ほとんど網羅できます。
 メトロの駅に最寄りのホテルを決めて、あとはガイドブック片手になんとかなります。

 そのガイドブックはフランス政府観光局発行の、「ひとり歩きのPARIS」と「フランス旅の手引き」が絶対おすすめです。実は帰ってきてからこの小冊子の出来のよさに気付いたのですが、いずれも薄くて小さいのに必要な情報がわかりやすく詰まっていて、携帯に便利でとても実用的です。なるほどこんなところにもと世界の観光都市パリの先進性と合理性に感心させられます。   (常議員)


オランジュリー美術館モネの睡蓮の間

  江別のパワー        永田創一

 人口は12万人の市、江別。札幌のベッドタウンとして生き生きと生活している町。そして、レンガの街。3年前に支部の研修旅行で札幌におじゃました時、北海道建築士会の会長さんに「北海道に来て、なぜ江別に行かないんだ。」とおしかりを受けたのが、みょうに心の中にもやもやと残っており、今回、いい機会を与えられた事もあり、江別市役所の石垣さんに連絡し、2日間にわたって江別を案内していただいた。
 軽く2日間と言うけれど、半田に客が来た時に、2日間も案内するところがあるだろうか、ふっと考えてしまうでしょ。ところが江別にはあるんですよ。
 まず、市内の小中学校。その敷地の広さと建物の古さには、感動いたします。17の小学校、中学校は9校。そのほとんどがレンガ造の古びた建物であり、子どもたちは木の床を一生懸命掃除していました。又、今も昔も野幌レンガの名で知られる窯業の町。バス停や、電話ボックスはサイロ型、教会型と数多くのランドマークで街なみをつくっています。
 そしてそこには、ナナカマドやオンコなどの樹木がやさしい顔をして赤レンガの遊歩道を守ってくれているのです。そして、なんといっても石垣さんご自慢の公共建築物群。全ての建物には、いたるところにレンガタイル。そして床はレンガ敷き。レリーフはオリジナルレンガと、まさにレンガづくし。まだまだ、おみやげには北のレンガパン、レンガまんじゅう、レンガチョコレートととどまるところをしらない。

 そして圧巻は、知る人ぞ知るあのレンガ博士、金沢工業大学の水野信太郎助教授を、家族ぐるみで、江別市につれてきて、北海道女子大学の教授にすえてしまった事です。
 彼はわが町半田のカブトビール赤レンガ工場に先鞭をつけた張本人であり、豊川市の出身なのであります。
 その人を、強引に江別につれてきてしまう彼ら江別赤レンガ倶楽部の連中のパワーと来たら、すさまじいものがあると感じるのは、私だけではないと思います。彼らの熱い思いは、これからの江別の街づくりに大きな影響力をもっていく事でしょう。

 私は、今回ほんとうにいい勉強をさせていただいたと思いますし、このことを多くの仲間に知っていただかなくてはと思っています。我々建築士の果たさなくてはならない役割をもう一度見直すいい機会でありました。    (前支部長)