座談会/半田支部30年のあゆみ(つづき)

司会 来年度までですね。それではこの辺で次にひとつ、この支部、知多としての重要な事件といいますとまず「伊勢湾台風」がありますが、その当時のご苦労話をお聞きしたいと思います。

竹内 伊勢湾台風は記憶に濃厚に残ってますね。自分の家が水につかって大変でしたが、市役所の建築課へ呼ばれてね。実は大阪から10人だったか建築課の職員が応援に来てくれて、半田市街の被害現場を調べたいが道が不案内でということで、1人の職員に役員が1人ずつついて、ひとつひとつ家がつぶれた現場を連れて廻った。それを強く記憶しています。

稲葉 相当支部の方にも、日割を決めて応援を願いましたね。

司会 スクーターとか単車の後に乗せて、よく走りましたね。(笑)伊東さんどうですかその当時のことは?

伊東 僕はその当時、役所にお暇をいただいた直後でしたから。まあ、何が何だか分らん様な状態でしたが、ただあれを契機に、建築工事が非常に活発になったということはいえると思いますね。
 まあ、自分の家が床上50センチ位の浸水になっちゃったものだから、その時は3ヶ月位本当に開店休業で、(笑)自分の家を整理するのに精一杯だったですね。台風で犠牲になられた方は本当にお気の毒だと思いますが、建築についてはあれから仕事がたくさん出て来たと思うんですよ。どうですか手島さん。

手島 そうですね。ふえましたね。

伊東 公庫でも一般のでなしに、災害特別のがあって、それでもう基準法を無視した様なのでもそれにひっかけてやってくれという様な要望があり困りましたね。

司会 今現在、それでちょっと困ってるそうです行政庁では。稲葉さん、その当時のことをふり返って、行政の側から見てご意見を願います。

稲葉 これは本当にね、自分でもよくやったなあと思います。私たちの場合、自分の家が倒れても全く帰れないというか手もつけられないというおかれてる立場でしたから。半田でも292人亡くなられ、とりわけ市営住宅あたりがかなり流失し、民間においても千軒を越える被害で、そういう書類を作らなければかなり現場へ行かなければいけないということで、病院で栄養剤打ってもらって、月月火水木金金でね、とりくんだものです。
 建築士会の会員の方にも相当力をかりてですね、特にあの住宅金融公庫の災害資金ですか、それが中心で、私らも公共施設やら大変でしたよ。ですから、ふり返ってみると、まあよくやったなあといえるですね。

水野 災害復旧住宅ですね。

稲葉 市営住宅あたりでも、一時には学校の校庭にも作ろうという位でした。

司会 手島さんの所はどうでした。

手島 お寺の松の木がね、屋根に倒れてくるしね、それにあの火事があったでしょう。火の粉が飛んで来て煙はまい上るし、水は入って来るでしょう。大きな材木は流れて来るしでね。消防署へ渡るのに水がここ(胸を指す)まで来ちゃった。

司会 加藤さんはいかがでした。

加藤 台風でね、事務所は天井近くまで水が来たでしょ。それから木材が全部流れちゃった。あれが原因だね、お手上げで、それで私の一身上の変化ができた訳だ。これは台風のおかげだよ。(笑)

竹内 話が技術的になりますけどね、災害調査でね感じた事は、金融公庫の住宅とそうでない住宅と違う点がはっきり分りましたね。金融公庫で出来た家は、建前がすんで瓦葺直前の状態でしたが、土台と柱の根元にカスガイを入れてるから、建ったままずれてる。普通の住宅はそれを義務付けてないから、土台と柱が別れて壊れてしまう。

稲葉 今のお話じゃないですが、伊勢湾台風まで半田競艇というのがあったんですがね。その建物の、土台下のアンカーボルトですかこの定着長さは正規にあったんですが、それがコンクリートを割って抜けちゃってるんですね。いかに風が強いか想像を絶する。

水野 そうですね。あれ程の台風は今までなかったですね。

稲葉 それともうひとつ、当時今の市役所庁舎が建設中で、当日監理会議をやっておりましてね。どうも台風がこっちへ来そうだから一度サッシ強度の実験をしようということになり、見本をタワーにしばりつけておいたんですが、ところがご存知の様な大災害でそれどころじゃなかったですが、後で見たらタワーは倒れてるし、ガラスは全くない位でね。それで当初の強度よりグレードを上げて対処することになりました。それ以前では、それだけの風がなかったですからね。

水野 瞬間最大風速60メートルでしたね。

稲葉 もう学校でも6Sタイプが皆曲っちゃったですね。

伊東 それでチャンネル等で補強した。

水野 シャッターははずれて、バラバラになっちゃったですしね。

稲葉 建築関係の面については、大きな教訓を残した台風だったですね。

竹内 それから筋違や金物をたくさん入れる様になりましたし、RCもふえてきましたね。

司会 そうですね。水野さん、その当時建設業界はどの様な……

水野 伊勢湾台風の時には、建築土木業者は非常に大きな(工事中の)被害を受けた訳ですが、反面、復興工事が今でいう激甚災害の法の適用もあったりして、非常にたくさん仕事が官民を問わず出ました。それまで建設業界は体質が弱くて倒産も多かった。それが伊勢湾台風をきっかけに仕事量が増えて体質が強化されたという面では、亡くなられた方には申し訳ないんですが、恵みの台風になったという一面もある訳です。技術的にもいろんな教訓を残しましたね。
 まあしかし、復旧は非常に大変な仕事でして、瓦ひとつを例にとりましても、産地の三河高浜あたりも全部やられてしまうということで、淡路や遠洲へと各業者は瓦を求めて走った訳です。

伊東 公共施設が耐火構造に変っていったのはあれからでしょ。

水野 国から特別の補助金も出たりしましてね、あれから耐火構造もふえてきましたね。まあ、愛知県全体をとってもあれがあったからこそ、各護岸も整備される、学校等の公共建物も鉄筋コンクリートでもって、どんどん建設が進むという様なことにつながって、まあ、時期的にも高度成長の時代に入ってたものですから。

伊東 あの当時のね、堤防でも何でも生コンで打ったの、あれは。

水野 生コンじゃないです。全部現場でバッチャープラントを設けて、ミキサーでやったものですね。生コンは昭和37年頃からぼつぼつ出てきました。

伊東 苦労したわけだね。あの防潮堤をうつには莫大な量だもんね。

水野 そうです。

司会 それでは、先程、稲葉さんからお話もありました「住まいと暮しの総合展」について、支部の事業としては相当大きな事業でしたから、もう一度皆さんからお話をお伺いしたいと思います。昭和52年10月8日から11日まででしたね。

水野 あれは前年の11月でしたね、市役所の中で準備委員会をもうけて、実行委員会を発足させようということから始まって、実行委員会としては総務・編集・渉外・事業と4つの委員会が出来ましたね。各委員会の会合は延回数にしたらかなりの回を重ねてですね、もう開催日前の3日間位と会期中は本当につめきりという様な形で、自分の本業はそっちのけでお手伝いしたものです。皆さんそれぞれ、そうだったと思いますが………

稲葉 皆さんスポンサー集めにも御苦労されたんじゃないですか。あらゆる方を通じて出展なりを呼びかけて……… 水野 まあ、そういう大勢の力でもってあれだけ立派なものが達成出来たんじゃないかと思います。対外的にも非常にいいPRになり一般の方に士会の存在を大きく認識していただいたことは、大きな成果じゃなかったかと思います。

稲葉 そうですね。またこれ官民一体てのがね、例えばポスターひとつにしましても、市の協賛事業でもあって、市民から応募を受けて選出し、それをポスターや冊子の表紙に使うというね、それからコンパニオンもね、なかなかすばらしかったし……

水野 本会でもなかった様な制服を揃えたコンパニオンでしたね。入場者も1万1千名を数え、冊子も5千部作って皆さんに無料配布しましたね。ミニ建築基準法やら住宅平面図集とかをおり込んだ202頁の冊子を差し上げたということで、かなりあれをまだ持って参考にしてみえる方もお有りでしょうし、愛知の士会全体の中からも大きな評価を受けたんじゃないかと思います。
 それから、企画の段階から全てを納めた8ミリの記録映画ですね。これは本会の総合展の時のプロの作ったPR映画にも勝ると私は思いますが、その様な立派な映画を支部で作ったこと、その一番中心になっていただいた竹内忠治さんの御苦労と製作技術というものは、半田支部として愛知の士会の中で誇り得るものじゃないかと思います。

稲葉 それからあの「知多の建築」写真展とか、撮影会とかいったものね、士会の中だけでなく外部の方に参加していただくというのは非常にいいと思います。ただ、もう少しあってもいいじゃないかと思うのが建築相談。以外に開店休業だなんてのがね。(笑)

伊東 それは、よくある生活相談とか法律相談とかいう様なものとは若干違うと思うんですね。

司会 僕も本会の総合建築展で3年程ぶっつけで出ましたけれど本当にないですね。それで初年度の時だったか、一回相談があったものですから、その人ちゃんとしたコピーもって来てね、相談しとったらね、あの人は毎年来るっていってました。(笑)ですから割りに少ないですね。
 まあ、それはどうしてかというとやはり、そういう案件が出た場合には設計事務所等に行って相談してしまいますからね。それまで温存して抱かしてるという様なことはないですね。

水野 その他あの時には、市民ホールの横へ鉄道記念館ですか、設計は事務所協会にお願いし、建設は半田市建設研究会で建てるという様なこともやったり、それから余剰金でもって、先程稲葉さんからお話があった様に、ミニ庭園を寄贈する様なこともやったりアドバルンは沢山あげる。それに飛行機をとばして宣伝もしましたね。半田市消防署の音楽隊のセレモニーでの演奏は立派でしたね。
 まあ本当に思い出すと思い出がつきない記念行事だったと思いますね。まあ、あれだけのものは、これからちょっと出来ないんじゃなかろうかと思いますよ。

稲葉 そうですね。まあ今の状況判断からみると不況ですし、ただ考え方としては、ああいうものをやる方向では、今後もね、難しいのではないかなと思いますね。

伊東 まあ毎年という訳にはいかんとしても5年に1回とかね。言うはやすいけれどやるとなるとね、大変ですが……

水野 今年30周年になるものですから、話はちょっと出たんですが、時期も非常な不況の中にありますし、コマが集まらないんじゃないかということで、見送った訳ですけれども。

稲葉 まあ、そのときの世情とか景気とかにもよりますが、まだ今日では半田しかそういった成果をみてないですから、出来れば、東海とか大府とかの市で、そこの市と提携して今後もやって行くことが、非常に意義が深いですね。

水野 そうですね。他の5市5町の中でも、あの様な総合展を開けたら、又ご援助願えたらなあと思いますね。私、ふり返ってみるとですね、初代、2代の支部長、それから稲葉支部長を含めて、行政側からたくさん出ておみえになるということもあるでしょうが、半田市のご協力・ご支援は多大なものがあると思うんです。歴代の市長さんにも大変ご理解いただいてますし、建築課の中でお世話いただいているということは、非常にありがたいことだと思いますので、この席をかりまして感謝申し上げる次第です。

司会 それでは最後に、今後の支部に対する要望、御意見とか、御指導を一言ずついただきたいと思います。まず、竹内元支部長さんからひとつお願い致します。

竹内 今までもそうだったけど、より一層これからは、我々会員・支部会員は、その地区の消費社会、一般の市民の方にね、尚一層のPRをして知ってもらうということにかけるべきではなかろうかと、そういう考えをもっています。

司会 では、加藤元支部長さん。

加藤 あの役員会なんかですね。出席してる人の記録をとってるかどうか、ちょっと心配しとるんだけど。だいぶんルーズになっとるんじゃないんじゃないかな。

水野 記録は一応とってはございます。

加藤 それがね、いろんなことに影響すると思うもんだから、まあ老婆心ながらいっとるんですけれど……

司会 それでは、手島さん、ひとつなにか。

手島 理事会の報告は、あれ役員だけが承知しとるだけで、一般会員はあまり知ってないでしょう?

水野 「愛知の建築」にね、1ヶ月遅れ位になりますが、私の報告の範囲内のことは、理事会報告が出ております。それでもって一般会員には伝わるというシステムになってますから、支部としては、役員だけに報告をしておる訳です。理想的には全員に流すべきだろうと思いますが、郵便代が高くなり、また支部財政もきびしいですから、その点が悩みなんです。

手島 あの雑誌、皆さんよく読まれてますか。

伊東 僕、だいたい全部見てね、事務所内にも回覧で廻しますけどね。

司会 では稲葉前支部長さんなにか。

稲葉 まあ、これ極めて夢の様なことですが支部そのものも会員が多くなりましたから、内部の行事とか会合も大切ですが、外部に向ってもまた、地域に密着して行く様な活動を息長くやって行かなければと思います。
 半田市も来年4月にはもう特定行政庁ですか、これ遅かれ早かれ各市がおやりになると思うんです。そうすると、ますます建築士への依存度が高くなって、会もそれに充分お応えできる様な会でないといかんし、又、おかれてる立場というものを社会的にも認めていただく様にね。ですから今回30周年で記念講演、こういったものは大変意義が深いなと思います。そういう開かれた行事を今後も息長くと思ってます。

司会 では最後になりましたが、伊東元支部長さん。

伊東 僕はね、今ちょっと考えながら三つのことを提案さしていただきたいと思うんです。ひとつは、支部長の人選ですね。今までは半田ばっかりから出とると。他の市にも非常に有力なメンバーもおみえになる訳ですから、そういう所へもね、支部長もっていって、建築展の様なこともそこでやってもらうという様なこともね、僕はこれからあってしかるべきだと思います。やはり、半田だけでやっとるということは、士会の発展ということにねある意味ではブレーキがかかっとるかもしれんと思うんですわ。
 それから、つぎは会費の納入方法、これは昨年から検討されておるんだけれども、何とかもっとスムーズでいい方法でひとつ……
 それともうひとつは、伝達方法。これは、役員会等で決定されたことが末端の会員に徹底してないということを僕は最近痛感する訳。この間の吹上の建築展の例をみると、役員会に出た人しか懇親会などについて知らなかった。他にも知ってたら行ったのにという方がたくさんみえると思うんです。だから、地区ごとに2人ずつの役員で、その2人がまた5人ずつにという様な伝達系統ですか、そういったことも一遍確立していかなければいけないと、そう思うんです。

司会 今までの要望等に対して、水野支部長なにか……

水野 まあ、今、歴代の支部長さんから、ありがたいご意見をいただいた訳で、私の不徳のいたす所も多々あって申し訳ないと思っております。
 本会の方では、会勢委員会がなくなってから退会者が多いことが問題になっていまして、愛知県の組織率が26%しかなく、全国順位でも33位ということで、いかに組織率を高め、又メリットのある魅力のある建築士会にしなくてはということが叫ばれております。また、支部においても、昨年会費未納で退会手続された方が15名あったことからも魅力ある支部づくりを考え、将来を展望する必要があろうかと思います。
 半田支部は5市5町とテリトリーが広く、会員数も344名と多い訳ですが、例えば東海岸と西海岸位に分けて組織を小さくすれば、小まわりのきく隅々まで目の行きとどく支部が出来るんじゃないかとも思われますし、あるいは、今まで半田で占めていた支部長を当番制で5市の中でまわして運営していくということもひとつの方法ではなかろうかと思います。
 集金方法も皆さんのご意見で振込とか郵便とかの方法が検討されて、現在、郵便為替の振替口座を開く様な形で進んでおります。これまで役員さんから、集金業務がたいへんつらいからやめたいとの声が多かったので、この改善の結果をみながら、又、より良き道を探って行きたいと思っております。
 それから先程いわれた建築展の懇親会へのお誘いが行きわたらなかったことは、まあ全員の方に電話をかければよかったんでしょうが、申し訳ないことをしたなと思っております。連絡網を作ろうということは、かねてから考えておったわけで、緊急時の連絡網ですね。そういうものを含めて今の常議員の他に一般議員みたいなものを考えてみてはどうかとも思います。支部規定との関係もありますが、役員の輪をひろげて有能な方、ご熱心な方に活躍の場を作ってご協力いただくということですね。そうすれば、その方たちを通じて、又、輪が広がって、組織率を上げることにもつながるんじゃなかろうかと思います。
 それと事業の内容ですね、会員外の方にも建築士会半田支部ここにありという様な姿でお認識いただける様な、開かれた行事を時あるごとにとらえて計画したいと思うんですね。ただ、そうすると必ず、役員さんのお骨折りをいただかなきゃならないということで、心の葛藤にも苦しむ訳なんですが、皆様のご協力をいただければもっと魅力のある士会にすることも出来るんじゃなかろうかと確信しております。
 それと、会員としては、メリットのある士会、それにはいい企画ですね。そのいい例が、昨年の法令講習会ですね。鉄骨造のブレース標準図関係の講習会には、127名の参加者がありまして、大成功に終った訳です。やはりいい企画をすればメリットがあるなあということで、会に入られる方もあるかと思います。
 将来は、今いった様に、「より開かれた」「よりメリットのある」支部作りというものを皆さんとお諮りしながら進めて行きたいと思います。未熟な私でございますが、前支部長さんの方のお知恵も拝借しながら、また、一般の役員さん、会員さんの声も反映出来る様なそういう支部にしたいと念願しておりますので、今回30周年という大きな節目をむかえておりますが、これをひとつのバネとして大いに飛躍出来る様、この事業についてもまた将来に亘っても、ひとつ絶大なご協力をいただきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

司会 どうも皆さん、色々ありがとうございました。まだ、お話ししていただくこともたくさんあると思いますが、時間の方も来ましたのでこれをもちまして「半田支部30年のあゆみ」と題しました座談会をおわらせていただきます。

一同 どうもご苦労様でした。(一同拍手)


この文は、1983年発行の(社)愛知建築士会半田支部 創立30周年記念誌「ちたの建築」誌より転載したものです。