新美南吉記念館コンペ

(社)愛知建築士会会長 藤川 壽男

地域密着型のコンペ
 半田市は、西に伊勢湾、東に三河湾を形づくる知多半島の中央部に位置し、この地方の経済文化の中心地です。この地の出身者で、「ごんぎつね」で知られる童話作家を顕彰する博物館の構想を広く世に求めるため、半田市と愛知建築士会共催で設計オープンコンペが行われました。

 このコンペが全国の建築士の皆さんの関心を呼び、北は北海道、南は沖縄の各地から広いご参加をいただき、応募登録数、1085、応募数、421、と予想を大巾に上まわる、我が国コンペ史上、有数の好成果のうちに、最優秀賞に新家良浩、岡村雅弘、石田純治各氏共同案が選ばれて幕をとじました。
 最優秀賞の三氏に心からお祝い申し上げますと共に、惜しくも最優秀をのがされた優秀案、佳作案、奨励賞案の皆さまにも入賞のお慶びを申し上げます。又、残念にも選外にもれた方々にも、そのご努力、ご苦労に対し心からお礼申し上げます。

 この応募者の熱意に応え予定審査日を延長してまでも熱心に審査していただきました、宮脇 檀委員長以下審査員の先生方のご苦労に対して、又、理想的なコンペの実現に深いご理解を賜り、その円滑な運営にご指導、ご協力賜りました共催者の半田市、市長さんはじめ関係者のご努力に対し衷心より感謝の意を表します。

 ここで、このたびのコンペの実施の経過を簡単に振り返ってみたいと思います。
 半田市で新美南吉記念館建設の構想があると聞き、愛知建築士会では半田支部会員を中心として、会館の性質上オープンコンペによって、より良い計画を求めるべきだとの意向が高まりました。当会の水野前会長が地元出身であることから、市長はじめ市議会筋、市関係部局に積極的に、その実現方を要請されました。幸い市当局もコンペによる計画案公募に深い理解を示されましたが、コンペに経験がないことと、コンペ実施のために市職員をさく余裕がないとのことで、当建築士会がコンペ実行の委託を受け、共催で事業を進めることとなりました。

 そこで地元出身の建築士を中心に実行委員会を組織して事に当たることとなりました。市の担当者とも地元同志の旧知の間柄のこともあって本音で交渉することができ、コンペの理解を深めると共に、市の内部事情をも充分理解でき、より理想的なコンペの実現に向けて、一歩一歩地道な努力が積み重ねられました。

 審査員団構成についても、より客観的に、中立的に、審査が行われることを期待して、行政サイドからは審査員を送り込まない英断がなされ、審査員長に愛知県出身の建築家、宮脇 檀氏をはじめとして、宮本忠良氏、長谷川逸子氏、竹山 聖氏と、年令、作風の異なる建築家と、半田市出身の著名な建築写真家、村井 修氏、それに新美南吉の研究者で児童文学者の鳥越 信氏といった多彩な顔ぶれで構成することができました。

 このように地元の熱意によって盛り上がり、地元行政に働きかけ実施された地域密着型のコンペだった由に、全国各地の建築士の関心を呼び、地方都市の建築士会の一単位会にすぎない愛知建築士会のコンペに、このように多くの方の応募をみたのだと思います。

 最優秀案に選ばれた新家、岡村、石田共同案はコンペの主旨、テーマの主旨を充分理解されユニークな構想を提案されました。
 屋根によって波打つ地形を造形され、システマティックな知的な構成でありながら風景に溶けこむ、やさしい詩情を漂わせています。
 美しい街並みの残る半田市に、この新しい美しさが波打ち、今後も地元の熱意によって美しさが、さらに増幅することを期待します。

 終りに、このコンペ実施の主旨に賛同され、ご協賛いただきました日本建築士会連合会はじめ、ご後援いただきました(社)日本建築学会、(社)新日本建築家協会、又ご支援いただきました各地の建築士会に心よりお礼申し上げます。


この文は、1991年発行の「ごんぎつねのふる里 新美南吉記念館 公開設計競技記録」 誌より転載したものです。