半田市ふるさと景観賞 概況報告

社団法人愛知建築士会半田支部 支部長  永田 創一

 1993年社団法人愛知建築士会半田支部創立40周年記念事業としておこなった“半田市都市景観賞”が実を結び、半田市主催の“半田市ふるさと景観賞”として発足することとなった事は我々半田支部の会員すべての喜びと言ってよいであろう。1951年6月2日に結成された社団法人愛知建築士会半田支部は現在知多半島5市5町に在住の450数名の建築士会員で構成され、“地域社会の発展のため最新の指導者たるべし”の綱領に則り、活動を続けている。'93年の南吉記念館の設計コンペにおいても我々支部会員も事務局員メンバーとして活動し、昨年は、赤レンガ建築物保存問題を取り上げ、積極的に活動を重ねてきた。

 今回この“半田市ふるさと景観賞”は昨年5月に半田市より我が支部に事務委託があり支部としても特別委員会を設け、役員、青年部総出の一大プロジェクトのつもりで取組んできた。委員長には、元支部長、ベテラン杉浦護氏、副委員長には前回委員長を務めた渡辺真啓氏、そして愛知建築士会の機関紙の編集長を務める成田完二氏の3名が中心となり、タイムスケジュールの作成、予算案そして選考委員の先生方の選定と、限られた期間の中で忙しい毎日が続いた。何度も何度も市側と打合せを重ね、やっと作品集作りまで終えることができた。

 今、振り返ってみると、6月中の予算案、事業内容の決定、7月中旬までの応募要項、ポスターデザインの決定、選考委員の先生方の選定、審査会場の予約等々、そして8月中旬までの印刷、配布と、審査当日までに費した時間は膨大なものがある。また審査会場は、榊原青年部長わはじめとする青年部の部員全員が審査前日の朝から夕方までかかって作り上げ、選考委員の先生方を迎える準備がととのったのである。そして審査2日間、その後の作品集作りへまたまた時間が過ぎていく。スタッフの人件費を考えると空恐ろしいものがある。皆、自分の仕事をほっといてのボランティアである。

 我々ばかりではない。選考委員の先生方も公務に忙しい中を安い報償で、何日も拘束され、特に高北先生には大変なご無理を言って、少ない予算でポスター、応募要項のデザインをしていただいた。また、選考委員の先生方は半田市に関係の深い方ばかりで、事務局担当の我々スタッフよりもよほど半田の街なみをご存じで、あの強行軍の現地審査があれだけ短い時間で終了できたのは、そんな理由もあったのではないかと思う。とにかく先生方の精力的な行動には、目を見張るものがあった。入選作10点は、そんな先生方の汗の結晶と言っても過言ではないと思う。

 さて、今回の景観賞にはひとつの不安があった。応募作品の数である。よく似た様な企画の募集案内が時期を同じくして発表されて、前回よりたくさんの作品が集まるかどうか心配が先に立つ毎日が続いた。しかしそれも県立半田工業高等学校建築科の生徒諸君の積極的な協力を得て、342点264名の方々の応募をいただき、事務局員一同ホッと胸を撫でおろした。  また今回は、多くの新しい町なみの発見があった。入選作品の“紺屋海道”もその一つである。半田に永く住んでいる人でもこの名前を聞いた人は少ないだろうと思うし、なぜ“街道”ではなく“海道”なのかという点でも歴史的な観点から改めて半田を見つめ直すいい機会であるのではないだろうか。

 こうして今後も第2回、3回とこのふるさと景観賞が続けられる様、我々も地域の人たちと力を合せ、まちづくりを進めていかねばならないと思うし、瀬口先生のおっしゃるように、地域住民の理解なくしては、ふるさと景観づくりは成功しないのではないかと真剣に思う。

 最後に、共に事務局を担当して下さった半田市都市計画課の担当者の皆様に感謝申し上げるとともに、次回もその次もまた一緒に力を合せて、いいまちづくりをしていく事をお約束して、筆を置きます。


審査会風景

 

 

 

この文と写真は、1996年 半田市発行の「半田市ふるさと景観賞」誌より転載したものです。

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