40周年のとりくみ

40周年実行委員長 杉浦 護

 昭和28年6月28日、愛知県下で4番目の支部として設立されて以来40年、人生にたとえれば不惑の年を、言い替えれば、これからは社会に対して、これまで以上に、より還元していかなければならない大きな節目を迎えたわけです。この間の先輩会員の、たゆまぬ御尽力に対し、ここに深く感謝いたします。

 前回35周年時には「住まいの総合展」及び「さわやかな街づくりシンポジウム」として、地域の理想像を提案することが、記念事業として実施されました。それは結果として、運輸省等にも御評価いただき、感慨深い思いが今も残っております。が、その反面それは全てそれぞれに建築にたずさわる専門分野からの一方的な提言でもありました。

 住みよい街づくりの実現は、住民側、又は行政側の、一方の側だけでは当然不可能なことであり、それは、互いを思いやり、理解を深め、協調しあいながら、一体になってこそ初めて成し得る事でありましょう。しかしながら現実には、その努力にもかかわらず、理想像との距離の大きさを認めざるをえません。私達は今回、周年事業を企画実行するにあたり、この場面での接点に立ち、橋渡し及び調整役を担う事こそが、今我々に課せられた責務と考えました。

 さて、当支部内の知多半島5市5町は、それぞれの時代背景のうち、現在まで地域の特色を生かした個性のある歴史、文化を育ててまいりました。が、近年以前にも増して急速に都市化が進むなか、理論優先の、どこも画一化された街の形態が強く感じられ、もっとそうではなく、その地域独自の感性の訴え、そして人間中心の街づくりの必要性を思わずにいられません。まして今、知多半島では21世紀初頭に向けた中部新国際空港構想によって、より広域的な都市の変革が求められ、大きく揺れ動きつつあり、それは現在の時代においては不可欠な事であるが故、今こそ、先見性をもって、これまで培った独自の良いところと、将来の都市像とをバランスよく調和させながら、推移進展していかなければならない時であると思います。

 以上の様な観点から、この節目の事業として、もう一度原点に戻り、街づくりに対する市民意識の調査及び高揚を計り、あすの街づくりの糧となるべき目的をもって今回、半田市都市景観賞の募集事業に至ったわけです。本来ならば、支部内五市五町全体を対象に実施するのが本意ではありましたが、一面この事業の成功への道は、行政側との協力が不可欠と感じましたし、特に半田市においては、平成5年度内の都市景観条例の策定に向けて着々と準備が進んでいる現況から、先ず半田市を対象に設定させていただきました。

 半田市の、蔵のある街、31台の山車の街、南吉のふる里の街という3つの市民イメージと都市景観と、どういうつながりをもつかという事も興味深いものがありました。

 幸いにも市当局の温かい御理解が得られ、共催という形で、協力を仰ぐ事となり、事業も非常にスムーズな推行をみる事が出来ました。そして一番の課題であった応募作品数についても、初めてのこと故、非常に心配していましたが、全体で294点という予想以上の応募をいただき、市民の意識の高さを知り、又感謝しつつも、この事業の正当性を確認致す事も出来ました。又、応募要項につきましても、主旨からして、決して建築物にこだわることなく、より巾広く考え、審査員の構成も各分野の方をお願いし選考を委ねました。

 結果については別紙の通りでありますが、私達にとっては、今後、この応募作品をいかに正確に読みとり、街づくりに反映してゆくかが、本当は、いちばん大きな課題であると思っています。そして、住民と行政の接点として、私達建築士一人ひとり、又建築士会が、より研さんにはげみ一致協力して、もっと必要とされる時代を築きあげてゆきたいものです。最後になりましたが、この各種記念事業の遂行に際しまして、会員は言うに及ばず、半田市及び実行委員各位、御協賛いただいた各企業、個人、そして、この景観賞に応募された方全ての方がたに、ここで深く感謝の気持を表わしたいと思います。

この文は、1993年発行の(社)愛知建築士会半田支部 創立40周年記念誌「40th ANNIVERSARY」 誌より転載したものです。

もどる